2014年10月10日金曜日

お人形写真とか

よい子さんの白い服を見直して、型紙修正して仮縫い。
中央ダーツより、やはり脇からのダーツのほうが見栄えがよさそう。切り開いて改造しよう。
切り開くといってもイラレだけだけどね。

ズドーンとした余裕のありそうな、子どもらしい線になってきました。うん、子どもはこうだよね。

左側は前の試作ドレス。何かとコレジャナイ気がして、もう少し練ることにしました。
パフスリーブかわいいので、パフスリーブ続行です。
脱着は背中でガラスで作ったボタンと糸ループ。 ボタンまだついてない。

こちらは失敗パーツを色塗って遊んでいる「白」さんです。



茶色い目は12mmアクリルアイ。イプルハウスのBICHUNについてきたやつだったと思います。
眉毛むずかしい。


週明けに、ひとつお知らせを書きにこれると思います。
次週もコッチの更新はお休みします。



・・・で そんだけじゃ身がないので、ドールアイについて古今の東西。
今から書くのは、その方法のなかで用いられた一般的な方法なので、作家さん個人による創意工夫、汗と涙の結晶は関係ないものとします。むしろ変態的な作品は知りたいところですが。

まずガラスの発見と、最初の人工的なガラス質について。
人類が人工的に作り出したガラス質は、今から7000年前のタイルが最古の出土記録です。
 使途は装飾品だったんじゃなかろうか ということです。

これは陶土の上にガラス質の柚を施した「ファイヤンス(ファインアイス)」とかいうものです。

で、話は西洋のビスクドール誕生の頃へ飛びまして、最初の頃のビスクドールには、このファイヤンスと似たような方法で作られたタイルの描き目が使われていたそうですね。
半球形の陶土の表面に、虹彩の色になる柚をひき、放射線状に虹彩線を描き、瞳孔を黒い釉で描いて焼成したものだそうです。

その後今のようなグラスアイに変化していったのはご存知の通りなのですが、西洋は頭の内側から象嵌する方法です。 



一方その頃より2世紀前から平らな顔種族の国、日本では雛人形とか市松人形が今のかたちになったようです。
日本のお人形は日本人のお顔なので、骨の凹凸がすくなく、厚いまぶたの下に目が収まっています。

日本と西洋の差は、なんといっても顔の彫りの違い。
お雛様みたいな小さいお人形の目は簡易的に、長方形に切った薄いガラス板へ、瞳孔、虹彩の色、白目の白 の順に描いて、それをひっくり返して象嵌したりするそうです。
私がガラス屋として目を納めている市松さんは、目を入れる部分を掘り込んでグラスアイを設置し、それからまぶたの造形、表面処理(胡粉塗装)してゆくそうです。


作り手としては、顔の作りの違いで目の形状もそれ専用に作るので、お互いに互換がない。
形状、求められるものが違うので、難しいっす。


目が滑る おやすみなさい。 つづきはまたいつか。

(鋳込みの技法はいつごろから日本の陶磁器に使われたか、ちょっと調べがつきませんでした。近所に六古窯があるので、いつか勉強しにいこう。昭和初期から常滑では鋳込み急須が盛んになっていますが、それはちょうどサクラビスクと誕生時期が近いですね。)


どうでもいいけどガラス技法は、一番古いのはキルンワーク(窯の中でガラス粉を溶かし合わせて形を作る)ついで、私が扱うランプワークがほぼ同時に現れたっぽいです。それが確か今から5000年前。
ガラス工芸と言ったらよく想像する吹きガラスの製法は、成立がわりと遅くて紀元前1世紀ぐらい。
吹きガラスができることによって、(まともに生活の中で使える)板ガラスができました。
(現在は板ガラスは吹きで作りません。フロート式といって(略))
こんどこそねる

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